小朝師匠の髪形ってビリケンか?

 もうひとつ読売新聞より。連載企画なのかどうかわからないが、気になった記事。小朝師匠が52なんて年になっている。オレが小学生のころ、小朝師匠のラジオ番組「夜はともだち」、聞いてました。「横町の若様」なんて呼ばれていた時代。それがもう52。早いもんだ。
 で、なぜこれに注目したか。連休に東京に行った際に目に付いたもの。自分はジュース・コーヒーでも、買って、歩きながら飲むことはまずしない。しかしね、最近多いような気がする。路上で歩きながら食ったり飲んだりする連中。
 自分のクルマの中ならば、あるいは長距離電車の席ならば、飲み食いはする。比較的プライベートな空間と考えているから。それ以外ではしない。なんとなく恥ずかしいから。
 寄席に行って、最前列でカップラーメンを食える神経がまず信じられない。演者の目の前だからね。オレはとてもそんなことはできない。
 で、思うこと。自分優先ではなく、相手のことを思いやる、と同時に、こうしているのを見られるのはなんとなく恥ずかしいな、と思ってみる。どういうときか?いろんなときに。
 最近のヒトはそれが足りないから、"自分が安心したいから"、時間外外来に軽微な疾患で来たりする。で、待たされると文句を言う。自分優先だから。
 あるいは、病院にかかっておきながら、検査にケチをつける。昨日の外来に来ました。そんなヒト。
 ある疾患で、CTだけではよくわからんから、「MRI撮ってみましょうか」というと、「じゃあ最初からMRI撮れば良かったじゃないか」と言いだす。
 そこからもうケンカ腰。そう来るならこっちもそれなりの対応をしようと、相手から目を離すことなく、じーーーーーーっと相手の目をにらみつけて、一生懸命に話をしました。おかげでだいぶ時間を食いましたが。
 自分優先の人が多すぎる。そんなことを感じた記事でした。

漂流する倫理
落語家 春風亭 小朝さん 52
本物の大人 少なすぎる
 先日、びっくりする話を噺家仲間から聞いた。口演の最中、寄席の最前列の観客がカップラーメンを食べていたという。演者は集中できないし、ほかのお客様にも迷惑だ。仲間内で「日本人もここまできたか」とあきれかえった。
 倫理観の崩壊は、人間が野生の動物に近づいている、ということではないか。動物は皆、基本的には楽をしたいし、放っておくと何をしでかすか分からない。だからこそ社会にはルールがあり、家庭にはしつけがあった。
 近ごろ大人と呼べる人が少なくなった気がする。物事をきちんとわきまえ、美学をもった大人が。ここで言う美学の中には恥の感覚や、程の良さというものも含まれるが、今の日本人からは、それが失われている。
 スピード優先の競争社会で、多くの人はストレスを抱え、美学にこだわる余裕などない。自分のまわりを見回しても、この人のようになりたいと思える人もなく、自分が何を目標にして生きているのかもわからないという人が多い。
 こんな状況のなかで、まず第一に他人のことを考えるとか、きちんとルールを守るというのは容易なことではない。他人とコミュニケーションをとらなくてもいいように自分ひとりの世界に逃げ込もうとする者もいれば、社会に出て人と人との付き合いにストレスを感じ、どこかでルールを無視して己の心を解放しようとする者もいる。
 とにかく今は本物の大人が少なすぎる。失われつつある倫理観を社会が取り戻すには、物心がつく前の子供たちに、きちんとしつけをするしかないのではないか。
(聞き手・中村亜貴)