自分という存在。

 ここのところ調子が悪いせいか、考え込むことが多くなる。全てを投げ出して、逃げてしまいたいことはもちろん、自分がこの世からいなくなる、すなわち自殺をしたらどうなるだろう、と考えることもしばしば。痛くない自殺ってないかな、とか。しかし、たいがい次の瞬間に家族のことを思い出し、その思いは消える。
 自殺は、その思いを行動に移すまでが非常に大きな決心が必要になるだろう。だから、先日亡くなった、故松岡氏の思いは想像を絶する、相当なものであっただろうという想像だけはつく。
 で、ネタとしては、自殺という話ではなく、自分という存在はどれだけの存在か、ということ。
 こういうことを考えるたびに思い出す漫画、それが『T・Pぼん』(タイムパトロールぼん)。Wikipediaより、あらすじを引用。

 ある日、平凡な中学生・波平凡は、偶然T・P隊員の少女リームと出会った。T・P隊は凡の生きる時代よりも未来に本部を置き、過去に不幸な死を遂げた者で、なおかつ生存しても歴史の流れに影響しない者の救助活動を行う組織である。
 T・Pの存在を明らかにすることは禁じられており、通常は記憶消去装置フォゲッターを使用することで被救助者をふくむ周囲の人々の記憶から自分たちに関する記憶を消去していた。
 しかしタイムパトロール隊には、タイムトラベルの秘密保護のため、T・Pに関する記憶が消去されなかった第三者で歴史に関与しない者は、過去に遡って存在そのものを消し去ってしまうという冷酷な規則があった。そのため、リームのうっかりミスから記憶が消去されなかった凡はT・Pに消されそうになる。
 ところが凡は歴史に何らかの影響を及ぼす存在であることが判明し、困ったT・Pは凡を隊員に任命することとなる。

 この中の一文、

凡は歴史に何らかの影響を及ぼす存在である

 この設定が、漫画の中では非常にさらりと書いてあるんだけれども、非常にでっかい話で、実は、

  1. ぼんがムシャクシャして小石をける。
  2. 近くのオッサンに当たる。
  3. オッサン、ぼんを追っかける。
  4. ぼん逃げきる。
  5. オッサン、追う途中で草むらに落とし穴を見つけ、中に子供を発見。
  6. 放っておけばその子供は死ぬところだった。
  7. 発見されたその子供はのちに医師となり、どこかの国の要人の治療を行い、その要人がいたために核戦争を免れた。

 うろ覚えなので、特に7番目があやしいのだが、だいたいこんなもんだったと思う。小石1つ蹴るだけでも、世界平和につながる可能性も、全く否定はできない、という話。
 「自殺」の話につなげるならば、自ら命を絶つことにより、それが周囲の人間にどれだけの影響を与えるか、と考えてみる。
 全く影響がない人間なんてのはこの世に1人たりともいないはず。そう考えると、自分の勝手でヒトを悲しくさせること、あるいは面倒をかけること、そんな勝手なことをすること自体、申し訳ない、と思ってしまう。ホントに自殺するヒトは、気持ちの中は、それどころじゃないかも知れないけど。
 そういうことをときどき考えさせてくれる、「T・Pぼん」を記した、藤子・F・不二雄先生って、すごいんだなぁ、って改めて感心してしまう、今日この頃だ。
 え?「ドラえもん」と「Back To The Future」はどうしたって?知るか、そんなこと。