とちぎ医療ルネサンス3回目。

 昨日のYOMIURI ONLINEより。

子ども医療センターは「軽症」殺到

 「専門のお医者さんはやっぱり安心。元に戻ってよかった」。12月中旬、那須南病院(那須烏山市)の小児科に、長男(2)のインフルエンザ予防注射に訪れた母親(28)が、安心した様子で言った。

 同病院の小児科は07年1月、医師が県外の病院に移り、事実上の一時休診に追い込まれた。患者には紹介状を出し、近隣の病院に回ってもらった。だが、継続して診療を受けたいと希望する患者は多く、関口忠司病院長は医師の確保に駆け回った。

 「いつでもいい、早く来てほしい」。その頼みにこたえたのが、自治医科大付属病院(下野市)の検査部門に勤務していた地元出身の黒崎仁寛医師(39)だった。「外来診療から5、6年離れているし、1人で大丈夫だろうか」と悩んだが、「古里の子どもたちを助けたい」という思いで月に2回通って診療するようになり、8月に常勤医になった。「地元への恩返しのつもりで頑張りたい」と、黒崎医師は張り切っている。

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 那須南病院をはじめ、県内の主要28病院(2大学病院は含まず)の小児科医師数は47人(07年10月現在)で、04年8月に比べ1人減。医師確保は依然厳しい状況だ。「病院勤務は仕事がきついからと敬遠されがちで、開業医に流れている」(県医師会)との指摘がある。那須中央病院(大田原市)は小児科医師がいなくなり、今市病院(日光市)でも非常勤を含め小児科医がいなくなった。

 行政が若年世代に住みやすさをアピールし、定住を推進する上でも、病院の小児科の存在意味は大きい。那須南病院を運営する南那須地区広域行政事務組合(那須烏山市那珂川町)組合長の大谷範雄・那須烏山市長は「小児科がなくなると、人口減や少子化に拍車がかかるところだった。小児科が復活できてよかった」と胸をなで下ろす。

 県は、研修医対象の奨学金制度を創設するなど、小児科医の確保に乗り出している。日本小児科学会会長の別所文雄・杏林大教授は「若い医師の養成のほか、出産後の女医の復帰支援などの長期的な対策が必要」と話す。

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 年間約5万人の小児患者を診る「自治医科大とちぎ子ども医療センター」(下野市)。12月20日、総合診療外来の四元茂医師(54)のパソコン画面に表示された患者の症状欄には「風邪」「発熱」が目立った。「(軽症患者に追われ)、本来診るべき重症患者の診療や、若手医師の指導になかなか手が回らない」と四元医師はため息をつく。同センターは小児の専門科が充実し、「(隣接の)大学病院と連携した高度医療が強み」(桃井真里子センター長)だが、夜間救急も含め、軽症患者の殺到が深刻だ。

 桃井センター長は「軽い病気はかかりつけ医に診てもらうなど、患者側の意識も変わらないと、現場は持たない」と警鐘を鳴らし、「臨床研究や後進の指導は、小児医療の進歩につながり、結局は患者に還元できる」と理解を求める。

 核家族化で相談できる人が近くにおらず、判断に迷ってとりあえず大きな病院へ――。そんな親の姿もうかがえる。県は夜間の子どもの急病・けがについてアドバイスする「子ども救急電話相談」(028・600・0099)を設けている。

(2008年1月4日 読売新聞)

小児医療(3)少子化歯止めに役割

 小児科医の減少と、これは小児科に限らない話だが、軽症者の高次医療機関への安易な受診の問題。今までも様々なメディアで報じられていることだ。今に始まったことではない。