とちぎ医療ルネサンス2回目。

 できるだけ追っかけてみる。YOMIURI ONLINEより。
先端施設手いっぱい
 ハイリスク分娩を扱う施設が手いっぱいであることと、中程度のリスクの分娩を扱う施設が減っている現状、そしてそれに対する県の対応、といっても搬送の調整を行うコーディネーターについてのみだが、記してある。
 医師不足に伴う医療機関の相次ぐ診療科の縮小については、記事中にある例以外にも、つい先日、塩谷総合病院から県厚生連が撤退するというニュースが流れたばかり。

2008年度末 医師不足で経営難
 塩谷総合病院(矢板市富田)を運営する県厚生農業協同組合連合会(JA栃木厚生連)が、2008年度末で同病院の運営から撤退する方針を、県や矢板市などに伝えていたことが28日、わかった。医師不足に伴う経営悪化が原因とみられ、厚生連は他の事業者への経営権譲渡を目指しているという。

県厚生連、塩谷病院から撤退方針

 また、搬送については、コーディネーターがいればスムーズに行くかというと、決してそうではない。
 医師にとっては、搬送先を探す手間が省ける、タダそれだけ。根本的な解決にはなっていない。
 どこもかしこもロクなニュースがない。
 以下は記事。
 まず、とちぎ医療ルネサンス

先端施設手いっぱい
リスク分娩(2)

 「産科、小児科の医師が100%の態勢を作ってくれたので、優奈を産めた。もし受け入れてくれなかったら……」。鹿沼市の横山由美子さん(30)は、長女優奈ちゃん(1歳5か月)の出産を思い出すたび、胸がいっぱいになる。

 妊娠23週で突然破水。かかりつけの産科医院から独協医大病院(壬生町)の総合周産期母子医療センターに搬送された。羊水感染が疑われ、心拍モニター検査で胎児の心音に異常が見つかり、すぐ帝王切開手術が始まった。麻酔で意識が薄れる中、「せっかく授かった命。絶対に失いたくない」と願った。

 生まれた優奈ちゃんは体重わずか452グラム。NICU(新生児集中治療室)で、おへそからカテーテルを挿入して点滴をし、2日目は鼻から胃に通したチューブで授乳した。横山さんが保育器越しに初めて優奈ちゃんを抱いたのは約2か月後。「肌がゼリーのようにペトペトしていて軽かった」が、恐る恐る抱きながら「何があってもこの子を育てたい」と思った。退院まで半年以上かかり、現在も月に一度、同病院に通うが、体重は5・4キロに増え、順調に育っている。

 胎盤早期はく離や低出生体重児感染症など周産期(妊娠満22週〜出産後7日未満)には様々な危険が潜む。同センター新生児部門長の鈴村宏准教授は「横山さんのようなことは誰にでもありうる」と警告する。

   ◎   ◎

 こうしたハイリスク分娩(ぶんべん)を扱う総合周産期センター(3次施設)は、年間出生1万人に1施設の配置が望ましいとされるところ、年間出生2万人弱の県内には、独協医大病院、自治医大付属病院(下野市)の2か所がある。

 しかし、実態は両病院ともほぼ手いっぱいだ。独協医大で73床、自治医大に90床ある産科と新生児病棟の稼働率は常に90%を超えている。満床を理由に搬送受け入れを断る例が増え、両施設の受け入れ率は97年に独協医大が96%、自治医大が94%だったのが、06年はそれぞれ過去最低の70%、63%に落ち込んだ。

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 要因の一つが、3次施設が県東部に偏る茨城、1施設しかない埼玉など他県からの搬送の増加だ。04〜06年の3年間、独協医大自治医大の両病院は、全搬送受け入れ数の約15%、計163件を他県から受け入れた。

 もう一つが、中程度のリスク分娩を扱う地域周産期センター(2次施設)の“弱体化”だ。2次施設は、07年11月に認定された国際医療福祉大病院(那須塩原市)を含めると8施設あるが、佐野市民病院(03年7月)、宇都宮社会保険病院(06年4月)が相次いで産科を休診。本来は2次施設で対応できる患者が3次施設に回されている。こうした状況に、「立派な3次施設があっても、2次施設が脆弱(ぜいじゃく)では十分に機能を発揮できていない」と、国際医療福祉大病院の佐藤郁夫院長は、施設運営費を含めた行政の支援を求める。

 また、3次施設への患者集中を避けるため、近隣県も含めた連絡、調整の態勢づくりを求める声が強い。自治医大の鈴木光明産科教授は「電話で1時間も搬送先を探すこともあり、当直医は疲弊しきっている。医者を本来の業務に専念させたい」と訴える。県は、空床情報を一元管理し、コーディネーターが搬送先の紹介や依頼を行う態勢づくりを、第5期保健医療計画(08〜12年度)の素案に盛り込んだが、急務の課題となっている。

(2008年1月3日 読売新聞)

 続いて、塩谷総合病院の記事。

県厚生連、塩谷病院から撤退方針
2008年度末 医師不足で経営難
 塩谷総合病院(矢板市富田)を運営する県厚生農業協同組合連合会(JA栃木厚生連)が、2008年度末で同病院の運営から撤退する方針を、県や矢板市などに伝えていたことが28日、わかった。医師不足に伴う経営悪化が原因とみられ、厚生連は他の事業者への経営権譲渡を目指しているという。

 同病院は1992年11月、地域の中核病院としてオープンし、矢板市や近隣市町で作る広域行政組合などが補助を続けている。全国的な医師不足の影響で今年1月に産科を閉鎖するなどして、入院患者が減少し、06年度に赤字転落した。

 関係者によると、県厚生連は撤退の理由について「医師不足などで経営を続けるのが難しくなった」と説明し、譲渡先は「まだ決まっていない」と話しているという。県厚生連は28日、読売新聞の取材に対し、「担当者が不在なのでコメントできない」と話した。

 これについて、矢板市の遠藤忠市長は「医療の空白が生じないよう、最大限の努力を求めたい」と話し、県は「存続のため、何ができるのか検討したい」としている。

(2007年12月29日 読売新聞)