「お産はみずもの」と「お産は女の大厄」(追記あり)。

 昨日のコメントより。
 金言を2つと、それをGoogleで検索して見つけたお話。

「お産はみずもの」

 erythronium1971さんのブログ、「ニュースの時間です。」「出産が危険なのはあたりまえ」から一部転載。

(前略)
妊娠も出産も安全だなんてことは決してないと、思うべきです。どんなに医学が進歩しても、お産がお産であること自体は神様が決めたことなのです。神様が決めたように体を使い、妊娠・出産に十分適応できる体を作ると言う、いわば生み出す側の努力も必要かも知れません。産ませる側の問題が多く取り上げられがちだけれども、絶対何事も起こらないはずだと言う前提で論じられては産婦人科医のなり手が激減しても仕方ないのではないでしょうか。まるで天に向かって唾を吐いているように、その結果が自分たちにあるべき結果として降りかかっているだけのようにも見えます。

お産は水物、生んだ後も生きていたらまた会おうね」と父に言って、母は私を生んだのだそうです。それから35年しか経っていません。妊娠・出産や育児ほど動物としての人間を感じる出来事はないと私は非常に思うのです。動物として享受せざるを得ない出産と言う危険行為を十分理解することが、自然の中の人間の立ち居地を理解する一つの入り口になるんじゃないかな、とまで大風呂敷を広げてしまう今日この頃なのでした。

出産が危険なのはあたりまえ

 もひとつ。

「お産は女の大厄」

 高照山妙光寺、月刊寺報、平成17年11月1日発行 高照山 第215号より一部転載。

(前略)
…戦前には「お産は女の大厄」と言って、母子ともに生死をかけた大変な事柄であったのであります。なおかつ母親の死亡率以上に、新生児の死亡率が今では信じられないほど高かったわけです。その大きな原因として戦前は新生児医療が確立されていなかった。しかも、その概念すらなかった、ということであります。つまり、出産を終えた母親に対しては、ある程度のケアをするものの、新生児については、今に比べれば「放っとかれている」状態だったのです。当然のことながら死亡率が高くなります。しかしながら、社会の人の多くは「これから長い人生を生きていくのに、これくらいのことで死んでしまう病弱ならば仕方がないから、あきらめる」。そういうふうに考えていたわけであります。
 戦後間もなく、神戸のある産婦人科医院に「これではいけない。赤ちゃんを救わなくてはならない」と立ち上がった医師がいました。その医師は、他の医師の嘲笑や軽蔑を買いながらも、強い意志で研究し、他の人に理解を求め、同志を集めました。それが医師であったり、看護婦であったり、時には妊婦でありました。
 今では当たり前の産婦人科と小児科の併設、それが社会に認められ広く日本に広まりました。そして新生児の命に対する軽視の認識も変わって、保護を重要視するようになり、やがては常識になっていったのは、この神戸の一人の医師の熱い思いと研究と、そうあるべき道理があったからであります。
(中略)
 さきほどの産婦人科のお話は、乳幼児や新生児の命を大切に考えることから、その発展は始まっております。
(中略)
 もし神戸の産婦人科医が「これから長い人生を生きていくのに、これくらいのことで死んでしまう病弱ならば仕方がないからあきらめる」などという当時の社会の考え方に「そうだよね」などと同調していたら、今でも新生児の死亡率は高かったでしょう。皆さんも私も子供達も、無事で生まれてこなかったかもしれません。
(後略)

平成17年11月1日発行 高照山 第215号

追記)もひとつ、「旅研」「歴史事典データベース」より、「産神」に関しての記述の中に、「お産は女の大厄」を見つけたんですが、転載しちゃダメって書いてあるのでリンクだけ。
 「安産の神様」なんて神頼みするくらいだから、もともと安全ではないことということだな。
(2008年2月19日 14:01追記
 先人の教えから学ぶことは多い、とあらためて感じた次第。