「地球を読む」より「医療制度改革」

 最近、ブログ更新をさぼりまくっている。
 どうも気力が湧かないのだ、というような言い訳はいくらでもできるので、多分やろうと思えばできるのだろうが、まぁ、適当に再開してみよう。
 先日の5/18付け読売新聞の「地球を読む」。国立がんセンター名誉総長の垣添氏の寄稿。
 アメリカ、イギリスの医療の現状と、いずれも明らかな失策となっているにもかかわらず、そのやり方をなぞるような日本の医療政策の行く末に警告を発している。
 大新聞だからなのだろうが、スポンサー様に気を使ってか、医療費抑制、民間保険の参入について異を唱える話がこのような大新聞に載る機会はあまりない。めずらしいので取りあげようと思いとっておいた。
 発表されてもうずいぶんたつが、あまり紹介されていないようだし、せっかくテキスト化したので、ココに全文のっけちゃう。

地球を読む
垣添 忠生 / 国立がんセンター名誉総長
医療制度改革
市場原理化見直し求める
 現在、世界で、富める層と最貧層への社会の二極化が急速に進みつつある。わが国では、働く意欲があり一生懸命に働いても年収200万円以下、時には100万円以下といったワーキング・プアの問題が急速に浮上してきた。未来に希望が持てない、結婚もできない若い世代の出現である。この国を覆う暗いムードの重要な一因であろう。
 米国では、ハリケーンカトリーナの襲来時の被災者に、黒人と貧者が多いことが世界の驚きだった。さらに、サブプライムローン問題に端を発して貧困層、弱者が急速に拡大再生産されている。一流企業の最高経営責任者たちが何十、何百億円といったボーナスをもらったり、退職金を入手している一方で、一日の生活費が1000円以下のアメリカ人が6000万人もいる。このように社会の格差は広がる一方である。
 こうした現象の背景を考えてみたい。米国では1983年、当時のロナルド・レーガン大統領が規制改革を進め、医療の世界でも「健康維持機構」(HMO)と呼ばれる民間保険が林立し、市場原理化が一気に進んだ。その結果は、患者と医療従事者の犠牲の上に、HMOの利益追求と、患者に対する医療へのアクセス制限だった。
 中産階層も一度大きな病気をすると、高額な医療費が払いきれないで自己破産し、最貧層に転落する。民間保険はさまざまに難癖をつけて保険金を全額は支払わない。さらに、よく知られているように、一方に4700万人の無保険者がいるといった歪んだ医療構造が生まれた。
 英国では、70年代までは「ゆりかごから墓場まで」と表現される充実した社会保障が実施されていた。マーガレット・サッチャー首相は、財政危機の立て直しのために、思い切った市場原理政策を採った。その結果、英国経済は立ち直ったが、財源確保のため医療費抑制政策も強力に展開された結果、英国の医療制度は崩壊した。入院手術待ちが1年以上といった事態が常態化し、医師は国外に逃げ出し、患者の不満も頂点に達した。医療従事者に対する患者や家族の暴力行為も頻発した。
 その後を引き継いだブレア首相は、事態を打開するために2000年に英国医療費を50%増額する政策を発表し、医療費を08年までに国内総生産(GDP)比で9・4%まで引き上げる政策を開始した。英国は思い切った政策転換を行った訳だが、その効果が出るまでにはまだ長い時間がかかろう。
 一度崩壊した医療を立ち直らせるには、巨額の費用と長い歳月を要する。
医療費抑制政策撤回を
 1980年代、米国のレーガン政権、英国のサッチャー政権に代表される新自由主義は、小さな政府、市場原理、規制改革、民営化路線を強力に進めることとなった。その理論的背景にはノーベル経済学賞受賞者のミルトン・フリードマン博士のマネタリズム理論がある。
 これに少し遅れて、わが国では2001年に小泉純一郎首相が誕生し、上述した米国、英国と同様に、小さな政府、規制緩和、市場原理などを推し進めた結果、郵政民営化などが実現した。だが、大企業の国際競争力強化のために法人税を引き下げたり、規制緩和を進め、大企業を優遇する一方、税収も停滞する中で社会保障費を大幅に削減した結果、これまで世界の頂点にあったわが国の医療制度は今、すさまじい勢いで崩壊を続けている。市場原理の導入は、「競争によってサービスの質が上がり、国民生活はより豊かになる」、という謳い支句だったが、実際の結果は散々たる現状である。
 それにもかかわらず、政府の規制改革会議は経済界と一体になって、市場原理主義の、規制改革を進めようとしている。「混合診療を進めろ、株式会社を導入して競争を強化しサービスを上げろ」と迫ってくる。
 しかし、混合診療の解禁、つまり保険診療保険外診療の混在を全面的に認めるということは、「公的保障をできるだけ切り詰め、その欠落部分を民間保険で穴埋めせよ」、ということである。端的にいって民間保険のビジネスチャンスを拡大せよ、といっているのに等しい。
 経済界が規制改革を錦の御旗にして、金融・保険業務を扱う会社のビジネスチャンスを拡大させようとするのは「利益相反」(コンフリクト・オヴ・インタレスト)の最たるものではないのか。競争も規制改革も必要だが、医療の世界に市場原理を導入したら何が起こるかは、1980年代に米国と英国で実証済みである。
 医療でお金を儲けようとしてはならない。医療は社会の公共財である。そこに株式会社を導入し、民間保険を導入し、公的保障を切り詰めたら、株式会社は儲かる医療しか展開しないから、大量の医療難民を生みだすことは火を見るより明らかである。
 米国や英国で失敗した医療政策を何のために、この国に今さら導入しようとするのか。わが国のすぐれた医療制度を守るために、今こそ医療人は患者・家族、広く国民の理解を得て、この愚挙に徹底的に抵抗する必要があると私は思う。
 どうすればよいのか。まず、医療費抑制政策をやめること。我が国では長く、医療費亡国論が蔓延してきた。わが国は世界一の長寿国であり、高齢者が急増している。高齢者には医療費がかかるため、現在の総医療費30兆円がどこまで膨らむか。医療にお金をかけ過ぎたら経済が停滞する、と刷り込まれてきたが本当にそうなのか。
 この国のために懸命に働き支えてきた人たちが年をとり、病気になった際、その面倒を国家が見ないとしたら、これは棄民そのものである。病気になっても心配なく治療やリハビリに専念できる国となれば、天井が抜けたように、この国を覆っている暗い抑圧感からの爽快な解放感が生まれよう。それは縮み志向を払拭し、経済が回り出す。
 現に、前述した英国で、医療費を大幅に増額しても英国経済は堅調である。また、北欧諸国の社会保障の充実と好調な経済は、何よりの証拠である。もちろん、総医療費をどのくらい伸ばせばよいかは緻密な積み上げが必要であろう。そして、医学界、医療界も、医療の質の確保、専門医とかかりつけ医の連携、専門医の適正な数と質など、多くの改革すべき課題がある。
 しかし、医療における市場原理主義を排し、病気になっても安心な国に向かって一歩を踏み出すことが、この国の将来を大きく変える重要なステップの一つと考えるが、いかがだろう。
 垣添忠生
 1941年生まれ。東大医学部助手、都立駒込病院医員などを経て国立がんセンター病院勤務。手術部長、院長、総長などを歴任し、2007年4月から現職。

 ちなみに、「利益相反」行為について、Wikipediaより。

利益相反行為 (りえきそうはんこうい)とは、ある行為により、一方の利益になると同時に、他方への不利益になる行為である。
わかりやすく言うと、依頼者からの業務依頼があった場合、中立の立場で仕事を行わなければならない者が、自己や第三者の利益を図り、依頼者の利益を損なう行為のことである。

 アメリカ、イギリスで実証されたことを日本で行った場合のことを指しているのだろう。
 世界一といわれる日本の医療を堅持したいのであれば、医療費抑制政策、民間保険の参入は避けるべき。現状の医療保険でさえ、いろいろと難癖をつけて払いたがらない例が多いのだから、本格参入となればその後は推して知るべしだ。
 そうならないためにも、医療費抑制政策の転換を願う。