やはり大新聞社は所詮御用機関なのか。
読売新聞の投書欄。以前から何度か取りあげているが、どうも政府寄りじゃねぇのか、という意見がトップにあげられることがときどきある。
読者の意見のはずだから、勘繰ってはいけない、勘繰ってはイケないと思いつつも、やはりそうなのかなぁと勘繰ってしまう。
5月8日気流欄。ヨミダス文書館より。
[気流]後期高齢者医療、冷静に判断を 二川明子(投書)
東京朝刊 気流
◇主婦 66歳(埼玉県富士見市)
後期高齢者医療制度がテレビや新聞で「うば捨て」や「年寄りは死ねと言うのか」などのきつい言葉で語られています。私もひどい制度ができてしまったのだなと思っていました。
しかし、独自に勉強したところ、こうしたイメージとは全然違う制度であることが分かりました。
例えば保険料は、国民健康保険と比べて低所得者は新制度の方が安くなるとも聞きます。被扶養者になっていた人が自己負担になるなどの問題はあるようですが、考え方としては理解できます。
世の中が良くなるためには国民が国の制度を正確に判断できるようになることが一番大事です。世界に誇る国民皆保険制度を今後も維持するためにはどうしたら良いか、私たちは真剣に考える必要があります。
それに応じた形でデスクメモが。
[気流・デスクメモ]5月8日
東京朝刊 気流
お年寄りの医療費が増え続ける中で、誰もが負担増を嫌がれば、医療保険制度そのものが成り立たなくなります。社会全体でその“痛み”を分かち合うためには、どういう仕組みが必要なのか。こうした視点から、後期高齢者医療制度を見つめ直してみよう――。二川さんはそう呼び掛けているようです。(気流デスク)
医療費削減は国策として規定事項となっている。
負担増が必要と考えるのならば、国にとっては「無い袖は振れぬ」と言う話ではないのだから、国民が痛みを分かち合うという視点ではなく、国がそれをまず負担するという考え方をすすめるべきだろう。
国の無駄遣いを連日報じているのはマスコミなのだから、そういう意見が出ないほうがおかしい。
もっとも、文の結びが、
…二川さんはそう呼び掛けているようです。
と「読者がこう言っているんだよ」と印象づける、姑息な手段でお茶を濁しているので、国の責任まで深く考えようという気はないのだろうが。
参考)狂想 電波投稿を食べないで下さい;投書欄からいろいろと考えさせてくれるサイト。ブログ(狂想 主に朝日のゆんゆん投稿(準備中))も御一読を。