一夜明けてのマスコミの扱いを検証。

 といっても、YOMIURI ONLINEと…そうね、毎日くらいにしようかな。
 YOMIURI ONLINEより。
舛添厚労相「批判はする」、増田総務相「地方問題に総力」
ウェブ魚拓

 自身も2期目を目指した先月の参院選。閣僚の失言、不祥事が相次ぎ、その度に、政府・与党の対応を厳しい言葉で批判してきた。
 原爆投下を巡る発言で久間元防衛相が辞任した際は「(候補者は)後ろから弾を撃たれるようなもの」。選挙後に赤城元農相が辞任した際の内閣の対応についても「危機管理能力ゼロ」と切って捨てた。
 にもかかわらず、就任を受諾した理由を尋ねられた舛添さんは「政権、党にしっかりしてもらわないと困るからで、批判するときはする。大臣が憎くて言ったわけではない」。

 必ず、前回の選挙前に内閣を批判しまくったことがエピソードとしてあげられる。これはタレントでもある氏のなせる技だろう。
 批判しまくっている人間を入閣させるのはどうかという意見。昨日、フジテレビで渡部恒三氏が述べていたが、「お友達内閣」と揶揄されていたならば、改造のためにはそういったヒトを入閣させることがまず思いつくことだろう。酔っ払いの戯れ言のように意見を述べる渡部氏に対して、同じく出演していた三宅久之氏が苦笑していたことが印象的だった。
 渡部氏も政界の水戸黄門などとヘラヘラする前に、自らがテレビにどう映っているのか、よーく見直したほうがいい。あぁ、こりゃもう引退したほうがいいな、とまともな神経を持っていれば必ず考えるはずだから。

 厚生労働行政への思いを問われ、「私が政治を志したのは(2000年に亡くなった)母親の介護から」と明かした舛添さん。
 認知症の母親を介護した壮絶な体験を著書「母に襁褓(むつき)をあてるとき」(中央公論社)につづり、98年に出版した。著書では「入所させた老人保健施設で、まともなリハビリも施されず、『寝かせきり』老人になってしまった。問題は今の日本の医療や福祉の制度にある」と実情を告発。その本丸に乗り込むことになった舛添さんは「おぎゃーと生まれてから、亡くなるまで一生かかわる厚生労働行政に全力を尽くしたい」と抱負を述べた。

 母親の介護をきっかけとして政治家に転身したことは以前にも記した通り。
 今後の政策について具体的なことは記されていない。「これから勉強します」といったところなのか。
 つぎ、MSN毎日インタラクティブより。
改造内閣:リーダーの度量…舛添氏の起用がシンボルに
ウェブ魚拓

 舛添は参院選前から、激しい安倍政権攻撃を繰り返してきた。惨敗が決まった先月29日の選挙当日には「国民の声に耳を傾けないことは許されない」と続投を批判。党勢立て直しの本格議論が進まない自民党を「(惨敗で)ショック死状態」とこきおろした。
 「耳の痛いことを言う人をちゃんと配置できるかにかかっている。今は茶坊主内閣。最もいい仲間は、裸の王様には聞こえない外の声を教えてやる人だ」(毎日新聞1日夕刊)と安倍に注文をつけていた舛添。その舛添の携帯に、27日午後2時ごろ、安倍から入閣要請の電話が入った。
 「ずっと批判してきた人間が入っていいのか」と念押しする舛添に、安倍は答えた。「それがむしろいいんだ」

 この辺の話の流れはだいたい読売と一緒。

 年金問題の対応に追われる厚労相は「誰がなっても大変なポスト」(自民党幹部)。自民党前総務会長・丹羽雄哉ら経験者の名前が一時はとりざたされたが、安倍はあえて安倍批判派の急先鋒(せんぽう)を矢面に立たせた。
 皇居での認証式を終えた安倍は27日午後9時すぎ、官邸での記者会見で舛添起用の理由を「年金への造詣が深く、国民に説明できる方だから」と説明した。舛添も、組閣本部に呼ばれたあとの会見でこう強調した。「批判は批判。今は一体となって自民党を立て直さないといけない」

 前回の参議院選挙、争点がほとんど年金の話ばかりだったので、自民党が惨敗、民主党がその恩恵に預かるといった形となったわけだが、その流れで、やはり厚労相たるもの、まず年金問題の解決が第一ということなのか。
 記者会見を聞いていないので、なんとも言えないが、安倍総理が実際に舛添氏の起用理由に「年金への造詣が深く、国民に説明できる方だから」を第一に挙げているのならば、医療問題への対策は望み薄、ということになる。
 以下は記事。
 YOMIURI ONLINE

舛添厚労相「批判はする」、増田総務相「地方問題に総力」
 派閥の長らを配する重厚な布陣に織り交ぜた「サプライズ」は、政府与党に痛烈批判を浴びせていた舛添要一さん(58)の厚生労働相と、改革派知事で知られた増田寛也さん(55)の総務相への起用だった。
 参院選の歴史的大敗から1か月。起死回生を目指し、27日に船出した安倍改造内閣の顔ぶれは、年金問題、中央と地方の格差、「お友達内閣」批判を意識したものとなった。“安倍丸”は再び浮上できるのか――。
 初入閣を果たした舛添さんは午後4時ごろ、一際激しい報道陣のフラッシュを浴びながら首相官邸入り。記者会見で、社会保険庁による年金記録漏れ問題など課題山積の厚労相就任について「要求しても資料が出てこないなど私自身、6年間、社保庁と格闘してきた。暮らしの安心を取り戻すため、国民の視点で頑張りたい」と力強く語った。
 自身も2期目を目指した先月の参院選。閣僚の失言、不祥事が相次ぎ、その度に、政府・与党の対応を厳しい言葉で批判してきた。
 原爆投下を巡る発言で久間元防衛相が辞任した際は「(候補者は)後ろから弾を撃たれるようなもの」。選挙後に赤城元農相が辞任した際の内閣の対応についても「危機管理能力ゼロ」と切って捨てた。
 にもかかわらず、就任を受諾した理由を尋ねられた舛添さんは「政権、党にしっかりしてもらわないと困るからで、批判するときはする。大臣が憎くて言ったわけではない」。
 厚生労働行政への思いを問われ、「私が政治を志したのは(2000年に亡くなった)母親の介護から」と明かした舛添さん。
 認知症の母親を介護した壮絶な体験を著書「母に襁褓(むつき)をあてるとき」(中央公論社)につづり、98年に出版した。著書では「入所させた老人保健施設で、まともなリハビリも施されず、『寝かせきり』老人になってしまった。問題は今の日本の医療や福祉の制度にある」と実情を告発。その本丸に乗り込むことになった舛添さんは「おぎゃーと生まれてから、亡くなるまで一生かかわる厚生労働行政に全力を尽くしたい」と抱負を述べた。
 岩手県知事3期を経て、地方自治を所管する中央官庁トップに就任した増田さんは記者会見で、「選挙に表れた通り、民意は、今までの政府の取り組みに問題意識を持っている。内閣の総力を挙げて地方の問題に取り組む」と力を込めた。
 旧建設省のキャリア官僚で、95年の知事選で初当選。3選目の選挙でマニフェストを発表するなど、改革派知事として名をはせ、今年4月に引退した。
 7月にあった旧建設省の同期会で「これから何をやるか、じっくり考えたい」と語っていた増田さん。安倍首相から就任要請があったのは、(今月19日からの)首相の外遊前だった。
 岩手県庁ではこの日、職員から「地方分権の特命相かと思ったが、まさか総務相とは」と驚きの声が上がった。幹部職員は「地方財政を理解している人の入閣はありがたい。これで交付税が増えれば言うことなし」と手放しの喜びよう。
 やはり改革派知事と呼ばれた前鳥取県知事で慶応大大学院教授の片山善博さん(56)は「総務省の言う地方分権は、中央官庁による護送船団方式地方分権の実現には、まず総務省の改革が必要だ。大きな役所だが、彼なら官僚の言いなりにならずに改革を進めてくれるだろう」とエールを送った。
(2007年8月27日23時54分 読売新聞)

 MSN毎日インタラクティブ

改造内閣:リーダーの度量…舛添氏の起用がシンボルに
 「お友達内閣」からの脱却。首相・安倍晋三にとって今回の改造の評価は、自分と距離がある政治家や批判派の政治家も閣内に入れ、リーダーの度量を示せるかどうかにかかっていた。
 そのシンボルになったのが、厚生労働相に起用された参院自民党政審会長の舛添要一だ。
 舛添は参院選前から、激しい安倍政権攻撃を繰り返してきた。惨敗が決まった先月29日の選挙当日には「国民の声に耳を傾けないことは許されない」と続投を批判。党勢立て直しの本格議論が進まない自民党を「(惨敗で)ショック死状態」とこきおろした。
 「耳の痛いことを言う人をちゃんと配置できるかにかかっている。今は茶坊主内閣。最もいい仲間は、裸の王様には聞こえない外の声を教えてやる人だ」(毎日新聞1日夕刊)と安倍に注文をつけていた舛添。その舛添の携帯に、27日午後2時ごろ、安倍から入閣要請の電話が入った。
 「ずっと批判してきた人間が入っていいのか」と念押しする舛添に、安倍は答えた。「それがむしろいいんだ」
 年金問題の対応に追われる厚労相は「誰がなっても大変なポスト」(自民党幹部)。自民党前総務会長・丹羽雄哉ら経験者の名前が一時はとりざたされたが、安倍はあえて安倍批判派の急先鋒(せんぽう)を矢面に立たせた。
 皇居での認証式を終えた安倍は27日午後9時すぎ、官邸での記者会見で舛添起用の理由を「年金への造詣が深く、国民に説明できる方だから」と説明した。舛添も、組閣本部に呼ばれたあとの会見でこう強調した。「批判は批判。今は一体となって自民党を立て直さないといけない」(敬称略)
毎日新聞 2007年8月28日 1時27分