混合診療について、わかる範囲で考えてみる。

 あんまり難しいことは考えたくないんだけど、古新聞が目に付いたので、気になったもんはしょうがない。11/28の読売新聞、「論点」より。

2007. 11. 28
[論点]混合診療判決 先端治療、多くの人に 福井秀夫(寄稿)
東京朝刊 解説

 混合診療についての寄稿。
 混合診療って何って?。うーん、蝿太郎まんが美術館より、「混合診療概説」をみてちょうだい。ヒトまかせでスマン。
 さて、本文を参照。一つ目。

…第一に、金持ち優遇で不公平という。
 混合診療の禁止は、万策尽きて保険外の最先端治療を付加的に受けようとする患者に対し、保険診療を打ち切って、「全費用を自費で賄え」と要求することだ。多額の治療費をすべて自費で負担できるのはよほどの富裕層に限られるだろう。
 ところが一般国民にとって、禁止による経済的打撃はきわめて大きい。混合診療が可能なら、たとえ貧しくても親類からのカンパなどで先進医療を受けるチャンスはある。末期がんをはじめ、難病患者のほとんどは経済的に困窮しており、混合診療を受けられないまま自殺した人もいる。混合診療はむしろ医療の公平に大きく寄与する。

 混合診療ってのは、簡単に言えば、保険診療保険外診療を混ぜて行うことでしょう。

混合診療が可能なら、たとえ貧しくても親類からのカンパなどで先進医療を受けるチャンスはある。

 通常の保険診療でさえ、金がないと診療を拒んだり、診療費を払わずに帰るものがいるこの御時世だ。これを理由にして公平性を言うのなら、最近の医療機関の未収金問題の理由をどうとらえる。筆者の言葉を借りれば、カンパがあれば解決する話ではないのか。
 現状でさえこんな問題があるのに、さらに保険適応外の治療を解禁すれば、金持ち優遇となるのは目に見えている。
 二つ目。

 反対論者は第二の理由で、危険な治療が横行して患者の安全が損なわれることをあげる。
 しかし、そもそも怪しげな治療は保険対象かどうかに関係なく規制すべきではないか。混合診療を実施するのは保険医である。医師は通常、患者を救うために最善を尽くす。保険外治療を試みる患者には、治療効果を挙げたい切実な事情がある。無意味な、あるいは有害な追加治療など起こる可能性はきわめて小さいうえ、医師がそれほど信用ならないのなら、厚労省の与える医師免許も信頼できず、医師の監督も不十分ということだ。混合診療の是非は、医療の安全性とは別の問題である。

 無駄な治療を行わないように、保険審査が目を光らせているんでしょ。
 また、この文章、ナニ言ってるかよくわからんので、意訳してみるとこうなる。

「医者は最善を尽くすはずだし、患者さんは切羽詰まっているわけだから、医者も無意味なこと、危険なことなんかやるはずないよ。そんなに医者が信用ならないなら、厚労省もいいかげんってコトだよね。」

 性善説か。悪人ってのはどこの世界にもいるからね。コドモのような理論を振りかざさずに、現実を見たほうがいい。実際問題、保険医であっても、年に何人か犯罪を犯すものはいる。
 三つ目。

 第三に、「必要」な治療なら保険診療に追加すべきだと主張する。しかし、医療保険は、疾病リスクを保険加入者で分散する仕組みであり、保険を破たんさせないためには、少数にしか効かない治療や、副作用が甚だしい薬品に保険を給付してはならないのである。
 保険対象にすれば、それをすべての患者に奨励することになる。多数に効き、副作用の小さい医療のみを保険対象としなければ、国民皆保険は成り立たない。個別の例外的な患者も含めた治療の「必要性」とは独立に、「保険対象」を設定せざるを得ないのは、保険という制度の宿命だ。
 患者の特性に応じた一定の治療は、皆保険の維持のためにも、また「必要」な治療を切実に求める患者の命を救うためにも、あえて保険ではなく、混合診療によって賄わなければならないのである。

 保険診療の場合、「多数に効き、副作用の小さい医療」。混合診療の場合、どれだけの効果があるのか、どれだけの副作用があるのか未確定な医療。それでも、それにすがりたいのが患者の心理。
 第一に、「混合診療はむしろ医療の公平に大きく寄与する」と訴えていながら、混合診療の対象となる診療を、国民が等しく医療を受けることが出来る保険診療に追加すべきではない、とも主張する。カンパだけを頼りにして。
 それが果たして公平な医療といえるのか。
 まとめると、福井教授が訴えたいことは、

「効果も副作用もよくわからん治療を患者が求めているのだから、保険診療保険診療として受けて、保険対象外診療は自費でいいから一緒にやってあげなさいよ。ただし、怪しげな治療はやっちゃダメ。ちゃんと規制しなきゃ。治療費は…全部自費じゃなきゃなんとかなるでしょ。」

 ということですかな。

 日本では、いわば定型的な保険診療以外の治療を医師が試みたくても、患者に膨大な負担を強いるため、事実上、先端治療の症例はほとんど蓄積していない。多くの優秀な医師の技量も、十分に磨きがかからないまま今に至っている。混合診療が普及すれば、本来、優秀で意欲的な日本の医師の力量は大きく開花し、国民の健康水準も着実に向上する。とりわけ、所得の低い層の人たちの医療福祉に貢献することは間違いない。

 今なぜ混合診療なのだろう。これだけの美辞麗句を並べて。
 やはり、先日のエントリーにもあげた、規制改革会議の委員だからだろうか。
 医療費抑制という大命題がまずあって、それに対して国が行っている多くの策の1つということだろう。
 前にもマスコミのこういう連中の危うさを挙げたけど、こういった国の会議に絡むヒトに記事を書かせちゃダメだって。新聞がただの政府広報に成り下がっちまうんだから。
 あと、ひとつだけ言えること。

…とりわけ、所得の低い層の人たちの医療福祉に貢献することは間違いない。

 これは絶対にウソ。だって、現状の保険診療に加えて、保険外診療を行った場合に混合診療分が付加されるんだから。今以上の負担になるでしょ。
 以下は記事。

2007. 11. 28
[論点]混合診療判決 先端治療、多くの人に 福井秀夫(寄稿)
東京朝刊 解説
15頁 1443字 04段 写真
  
 東京地裁は11月7日、「混合診療」の禁止が違法であることを明言する画期的な判決を言い渡した。原告のがん患者は、保険診療に加えて先進的な保険外治療を自費で併用する混合診療を受けようとしていた。しかし、保険給付を打ち切られることとなり、混合診療の中止に追い込まれたのである。判決は司法の良識を示しており、上級審でも維持されるものと考える。
 厚生労働省や医師会は混合診療に反対している。第一に、金持ち優遇で不公平という。
 混合診療の禁止は、万策尽きて保険外の最先端治療を付加的に受けようとする患者に対し、保険診療を打ち切って、「全費用を自費で賄え」と要求することだ。多額の治療費をすべて自費で負担できるのはよほどの富裕層に限られるだろう。
 ところが一般国民にとって、禁止による経済的打撃はきわめて大きい。混合診療が可能なら、たとえ貧しくても親類からのカンパなどで先進医療を受けるチャンスはある。末期がんをはじめ、難病患者のほとんどは経済的に困窮しており、混合診療を受けられないまま自殺した人もいる。混合診療はむしろ医療の公平に大きく寄与する。
 反対論者は第二の理由で、危険な治療が横行して患者の安全が損なわれることをあげる。
 しかし、そもそも怪しげな治療は保険対象かどうかに関係なく規制すべきではないか。混合診療を実施するのは保険医である。医師は通常、患者を救うために最善を尽くす。保険外治療を試みる患者には、治療効果を挙げたい切実な事情がある。無意味な、あるいは有害な追加治療など起こる可能性はきわめて小さいうえ、医師がそれほど信用ならないのなら、厚労省の与える医師免許も信頼できず、医師の監督も不十分ということだ。混合診療の是非は、医療の安全性とは別の問題である。
 第三に、「必要」な治療なら保険診療に追加すべきだと主張する。しかし、医療保険は、疾病リスクを保険加入者で分散する仕組みであり、保険を破たんさせないためには、少数にしか効かない治療や、副作用が甚だしい薬品に保険を給付してはならないのである。
 保険対象にすれば、それをすべての患者に奨励することになる。多数に効き、副作用の小さい医療のみを保険対象としなければ、国民皆保険は成り立たない。個別の例外的な患者も含めた治療の「必要性」とは独立に、「保険対象」を設定せざるを得ないのは、保険という制度の宿命だ。
 患者の特性に応じた一定の治療は、皆保険の維持のためにも、また「必要」な治療を切実に求める患者の命を救うためにも、あえて保険ではなく、混合診療によって賄わなければならないのである。
 日本では、いわば定型的な保険診療以外の治療を医師が試みたくても、患者に膨大な負担を強いるため、事実上、先端治療の症例はほとんど蓄積していない。多くの優秀な医師の技量も、十分に磨きがかからないまま今に至っている。混合診療が普及すれば、本来、優秀で意欲的な日本の医師の力量は大きく開花し、国民の健康水準も着実に向上する。とりわけ、所得の低い層の人たちの医療福祉に貢献することは間違いない。
 地裁判決を受けて、厚労省は東京高裁に控訴した。法律論として緻密(ちみつ)な地裁判決が覆る可能性は低いと思われる。患者の利益を見据えた政治判断によって控訴を取り下げ、完全に自由な混合診療を前提に十分な法的環境整備を行うべきである。
  
 ◇ふくい・ひでお 政策研究大学院大学教授 規制改革会議委員。専門は行政法、法と経済学。著書に「ケースからはじめよう法と経済学」など。48歳。